• レポート
  • 2020.06.30

明治時代における翻訳:一年間の訪日研究をふりかえって

本稿の目的は、日本で行われた一年の研究をまとめながら、明治時代の翻訳理論を紹介することである。

明治期の翻訳は明治政府の近代化政策のもとで形成され、翻訳理論及び当時使われた翻訳ストラテジーに関する視点が変わったという傾向がはっきり見られた。したがって、明治期の翻訳規範は様々であり、その動向に沿って、明治期の翻訳を研究した。

本研究は次の四つの段階に沿って進められた:

  • 理論整理:東京大学で翻訳理論の文献を収集し、分析した上で、ヨーロッパの翻訳理論と日本の翻訳理論を比較研究した。
  • 比較:日本翻訳理論、中国翻訳理論、西洋翻訳理論を比較して、日本の特殊性を明らかにした。
  • 翻訳された本の訳者による前書きを取り上げ、訳業、翻訳に関する言説、翻訳実施についての仮説を分析したり整理したりした。
  • 明治時代に行われたいくつかの翻訳を取り上げ、分析した。

日本で行った幅広い研究のうち、以下の研究成果を重視する:

  1. 明治時代の歴史的・政治的背景と翻訳に及ぼした影響;日本の近代化とその影響
  2. 翻訳を通じた日本語の発展および日本語に翻訳しにくい抽象的な概念
  3. 翻訳の比較研究   

1.まず、翻訳の役割を把握できるように明治時代の歴史的・政治的背景とそれらが翻訳に及ぼした影響を検討した。

 明治維新後の日本社会は新たな制度や国造りを目指すとともに、お雇い外国人の招聘、岩倉使節団等の成果を通して近代化が進んだ。その結果、政治、教育、文化、交通、建築など、様々な専門分野に影響を与えた。

 日本は追いつけ追い越せで急速な近代化を進めて、先進国になった。欧化政策・西洋化がますます推進されていた当時、日本の近代化のため使われた一つの方法は、翻訳を通して西洋の新しい考え方を輸入することであり、新しい翻訳方法がいくつか実験された。西洋と日本の文化の違い、考え方と言語のギャップがあったために、原文と翻訳を現在の目で見ると、不思議と感じるだろう。そもそも日本の読者にとって、新たな西洋の文学は不思議に見え、それを防ぐため、翻訳者は日本の考え方に従い翻訳を調整し、結果その翻訳は原文の意味から遠ざかってきたことが明らかになった。日本人の読者の好みに沿って、明治時代の翻訳は直訳より換骨奪胎か再構成として見られることが分かった。

 本研究で収集した資料を分析した結果、明治前半と後半の翻訳における1つの大きな違いが読み取れた。前半における翻訳は大衆の読者の反応を重視し、換骨奪胎及び自由訳が多く使われた。明治後半は娯楽の提供を目的としていたという点だけではなく、異文化を理解する方法の一つとなったことが明らかになった。

明治期の近代化が翻訳理論に及ぼした影響として、以下の点が挙げられる:

  • 国が開かれ、外国と接触し、翻訳が増えた。
  • 翻訳文化及び翻訳語が現れた。
  • 新しい言語の勉強が始まった。
  • 外国語の教育の進歩や文化交流のため、翻訳者の語学力が上達し、翻訳の精度が高くなった。
  • 西洋の文学を模倣し、新たな文体及び新しい日本語ができた。
  • 翻訳ストラテジーが注目を集め、何を翻訳したほうがいいか、どうやって翻訳したほうがいいかという、それまでの日本になかった意識が生まれた。
  • ヨーロッパから翻訳論のストラテジーが輸入された。

2.次に、翻訳による日本語の発展を明らかにする。

 明治期は社会の近代化だけではなく、西洋語の翻訳のために作られた言葉が日本語の近代化を促した。西洋のモノを翻訳したときはカタカナを使ったり、新しい言葉ができたりしたが、問題は、西欧独自の考え方に基づく抽象的な語彙であった。短時間で西洋の新しい概念を新しい日本語に訳しても、一般の読者はその新しい日本語の意味を把握できないことが少なくなく様々な混乱を引き起こしたことがわかった。その新しい概念が日本人の間に浸透するには、その後も長い時間が必要となることが大きな問題の一つだと明確になった。

 つまり、日本語の近代化は漢字を使いながら新しい名詞を大量に作り出すことであったとわかった。例えば、Akira Yanabu (Yanabu,1982)によると「自由」という言葉は1862年に出版された英和辞典に初めて現れた。しかし、当時は「わがまま」に近い意味だったそうだ。このような意味の違い、把握のし方などの問題がたくさんあったことがみられる。

 さらに当時は、話す日本語と書く日本語の違いがあった。Fergusonによると、明治期の日本語のディゴシアが翻訳の働きをさらに難しくさせた。(Ferguson 1959)  ディゴシアとは翻訳で使われる書く日本語と話す日本語の区別があることである。例えば、明治時代には様々な文体があり、その原文の種類に応じて翻訳の文体も変化した:

  • 和文(詩、物語など)
  • 候文(政治的なテクスト)
  • 漢文(漢詩)

このような話す日本語と書く日本語の差を解決するため、「言文一致」が行われた。
「言文一致」は日本語の発展においてもっとも重要であり、その後の、翻訳に大きな影響を与えた。

3.次に、明治期の二つの翻訳を取り上げ、分析した上で結論を述べる。

 翻訳理論の授業でいくつかの翻訳を取り上げ、翻訳の背景、翻訳の方法、原文とその原文の翻訳についてディスカッションしたり分析したりした。これらを応用して、自分の分析方法として発展させた。

 本研究では明治期初期の様々な翻訳を分析したが、今回、川島忠之助によって日本語に翻訳されたJules Verneの「新説八十日間世界一周」(1878年訳)と丹羽純一郎によって翻訳されたEdward Bulwer-Lytton の「欧州奇事花柳春話」」(1878年訳)を取り上げて分析した。二つの翻訳は同じ時期に翻訳されたにもかかわらず、意外にも翻訳規範は大きく異なることが明らかになった。

 以下の分析方法を使いながら、翻訳を分析した:

  1)翻訳で使われたストラテジー(翻訳ストラテジーの一貫性)。

  2)原文のテクストを考察し、具体的に何が翻訳されたか、何が省かれたか、大衆の読者の好みに沿って、原文と意味や表現が変わる場合を明らかにした。

  3)原文と翻訳の長さの違いを検討した。

  4)異文化はどのように翻訳されたか。

  5)日本訳の文体(和文など)。

日本語に翻訳された文章を分析した結果、以下の主なポイントが見えてきた。

 川島忠之助は「新説八十日間世界一周」を翻訳したとき、漢文読み下し文章を使ったが、ある部分は漢字を使って新しい日本語を作ったり、和文を使ったりした。それは原文に対応し、原文に近い翻訳が達成できたことが分かったが、翻訳ストラテジーから見ると、翻訳の方法は一貫性がないことが明らかになった。

 そして、フランス語と当時の日本語との言語の大きな違いにも関わらず、原文の意味を守りながら、テクストの長さはあまり変わらないことが明らかになった。ただ、ある部分には原文にない記述が補足されていることが分かった。その理由は例えば原文の読者にとっては当たり前の情報だが、日本人の読者がわからない情報を簡単に理解できるようにするため、川島が原文になかった情報を翻訳に加えたのだ。したがって、川島の翻訳の精度は極めて高く、逐語訳の部分が多いことが明確になった。あとは、原文の情報を日本語に全く同じように訳し、翻訳を外国化(外国の情報:名前、場所の名前、文化、習慣を変えずに翻訳)する傾向が見えた。

 丹羽も翻訳に同じく漢文読み下し文を使ったことがわかった。読み下し文以外、他の文体を使わず、翻訳に一貫性があることが明らかになった。原文尊重においては、特に自然の描写の部分などが省かれた傾向がはっきり見られ、原文尊重の程度は高くないと明らかになった。したがって、原文の情報を省いて大体の意味を述べているため、原文の長さに比べると翻訳の文章は短い。

 一方、例えば原文の「楽器」は「琴」に翻訳されるなど、日本の読者になじみのある言葉に置き換える方法が考えられ、原文を自国語化する傾向が明確にみられる。このような徹底した日本化/自国語化を行う翻訳ストラテジーはこの当時珍しいものではなかった。この翻訳観は当時の社会思潮を反映したものでもある。

以上のように、丹羽の翻訳は外形尊重や原文尊重をせず、日本の読者にわかりやすいことを目指した大胆な翻案や自由訳だということが明らかになった。

結論:

 二つの翻訳は翻訳ストラテジーが異なるが、原文をわかりやすくするため、ある程度の、換骨奪胎がみられる。

 同じ時期に出版されたにも関わらず、二つの翻訳は翻訳ストラテジーや規範は大きく異なる。すなわち明治期の翻訳は様々な翻訳方法を使い、翻訳に関する意見は様々あり、一貫性がない。

 研究プロジェクトの目標達成度

 研究の主な目標は日本の翻訳ストラテジーや翻訳規範の特異性、他の国から受けた影響、翻訳を通じて異文化交流を行った方法、翻訳を通じて明治時代に行われた日本の近代化、日本の新しい文学や新たな文体を研究することである。

 この研究プロジェクトは明治時代に行われた翻訳の規範や翻訳ストラテジー、他の言語から日本語に翻訳された文書が日本の近代化や日本社会にどのような影響を与えたのか、また、翻訳語に影響された明治時代の新しい文学、新たな文体や、翻訳された文書を通じて行われた異文化交流の分析を目的とした。

東京財団政策研究所にて

一年間の研究プロジェクトにおいて達成した目標の要点は下記の通りである:

  • 日本の翻訳規範や翻訳方法を分析して日本翻訳理論の特殊性を明らかにした。
  • 日本語に翻訳された文書が日本語の新しい書き方、文体、作家の考え方に与えた影響を示した。
  • 明治時代に行われた翻訳主義の歴史的な背景、政治的な背景の影響を精査した。
  • 日本の近代化における西洋翻訳の役割を示した。
  • 翻訳と文化の相互関係を検討した。
  • 原文とその翻訳の分析力が高くなった。
  • テクストの自分の分析方法を開発し、リサーチスキルが上達した。

一年の幅広い研究は明治時代の様々な翻訳を分析しながら翻訳ストラテジーや明治時代の政治的、歴史的背景に関する新しい発見が多かった。今後とも日本で収集した資料を検討し、研究を続けたいと思う。

 

参考文献

 Ferguson, Charles A. 1959/2003. “Diglossia.” In Sociolinguistics: The Essential Readings, edited by Christina Bratt Paulston and G. Richard Tucker, 345–58. Oxford, Blackwell Publishing.

Kawashima Chunosuke 川島忠乃助. 1878/2002. “Shinsetsu Hachiju-nichikan sekai isshu” 新説:八十日間世界一周. In Honyaku shosetsu shuni翻訳小説集 二, ed. Nakamaru Nobuaki

中丸宣明. Shin Nihon koten bungaku taikei Meiji hen新日本古典文学大系明治編第15 Tokyo, Iwanami Shoten, 2002.

Keene, Donald. 1998. Dawn to the West: Japanese Literature in the Modern Era, Fiction. New
York: Columbia University Press.

Morita Shiken 森田思軒. 1887/1991. “Honyaku no kokoroe” 翻訳の心得. In Honyaku no shiso
翻訳の思想. Nihon kindai shisotaikei 日本近代思想体系15, 285–86. Tokyo, Iwanami
Shoten.

Niwa Junichiro¯丹羽純一郎. 1878/1972. “Oshukiji: Karyu shunwa” 欧州奇事 花柳春話. In
Meiji honyaku bungaku shu 明治翻訳文学集. Meiji bungaku zenshu明治文学全集
7, 3–109. Tokyo, Chikuma Shobo.

Yanabu, Akira. Honnyakugo Seiritsu Jijou, Iwanami Shinsho, 1995.

Yanagida Izumi 柳田 泉. 1961. Meiji shoki honyaku bungaku no kenkyu明治初期翻訳文学の研究. Tokyo: Shunshusha, 1961.

著者略歴

モカヌ・マグダレナ(Mocanu Magdalena):ブカレスト大学外国語学部日本語学科学士(2010)、ブカレスト大学東アジア研究修士(2012)取得。ブカレスト大学文化と文学研究博士2020年卒業見込み。2012年から現在までイオン・クレアンガ高校で日本語の教師として、日本語、日本文化、漢字、会話の授業を行う。ブカレスト大学の文化活動の幹事。2017年に国際交流基金日本語国際センター日本語教師長期研修にて所長賞受賞。